Who is "Prince YOSHIHISA"?

 
Who is "Prince YOSHIHISA"?
2017,performance,Duration5h30mini,throughout the city of Tokyo

Who is "Prince YOSHIHISA"?
2017,ツアー型の展覧会パフォーマンス,約5時間30分,東京都内各所
「国家診断」展 https://amseaut.blogspot.jp/2017/12/blog-post_17.html
AMSEA https://amseaut.blogspot.jp

 作成したガイドブックにそって東京都内を巡りながら解説するツアー型展覧会のキュレーションとしてのレクチャー・パフォーマンス。
 "PrinceYOSHIHISA”とは、北白川宮能久親王(1847~1895)のこと。日本の皇族である。伏見宮邦家親王の第9王子で、幼名は満宮。青蓮院宮の附弟となり仁孝天皇の猶子とされ、梶井門跡の附弟となる。親王宣下を受け能久の諱を与えられた。輪王寺宮慈性入道親王(有栖川宮幟仁親王の弟)の附弟となり、青蓮院宮尊融入道親王(後の久邇宮朝彦親王)を戒師として得度し、公現の法諱を称し、公現入道親王となる。最後の東叡山寛永寺貫主・日光輪王寺門跡で、院号は鎮護王院宮、通称・輪王寺宮。幕末に彰義隊に擁立されるが、1868年7月4日に(慶応4年5月15日)新政府軍によって壊滅、水戸を経由し仙台に逃れる。三十三藩が結びつく奥羽越列藩同盟の盟主となるが、同盟は次々に離脱と降伏、彼も陳謝状を書いて京都伏見宮邸で謹慎を命じらる。義理の甥の明治天皇の命により仁孝天皇猶子と親王の身分を解かれ還俗。処分を解かれて伏見宮に復帰し、幼名の伏見満宮で呼ばれる。プロイセンに留学中、北白川宮家を相続し、北白川宮能久となる。貴族の未亡人ベルタと婚約、明治政府に帰国を命じられ再び京都で謹慎。その後、軍人として励み、陸軍少将、中将と昇進、仁孝天皇猶子・親王としても復帰。1894(明治27)7月25日(年光緒20年6月)、日清戦争が終結。日本に割譲された台湾征討近衛師団長として出征(乙未戦争)し、台南でマラリアで薨去。秘匿されたまま遺体が日本に運ばれ、陸軍大将への昇進が発表されたのち、初の皇族軍人外地殉職者となって、東京の豊島岡墓地で国葬儀が行わる。日本武尊になぞらい、主祭神として台北の台湾神宮(台湾神社)を筆頭に、次々に台湾各地に神社が創建される。60に及ぶそれらの神社は大日本帝國の敗戦とともに1945(昭和20)年に全て破却、現在彼は靖国神社に祀られている。
 本作は、台湾神宮の創建と大東亜戦争終結までの存続がどのように可能だったのかを、北白川宮能久親王の半生を軸に見ながら、日本の近代における教化政策、国家神道の成り立ちにみる国家主義と、開拓(植民)との関係を探った。また、その中での清(中国)、北海道、台湾における排他や差別の構造を考察した。

ツアーコース
A 聖徳記念絵画館 ↓
B 陸奥宗光旧別邸 ↓
C  東叡山寛永寺輪王殿・輪王寺宮墓地・開山堂(両大師) ↓
D 国立科学博物館(第25回特別企画展「南方熊楠-100年早かった智の人」) ↓
E 上野恩賜公園 上野東照宮・元寛永寺五重塔・山王台 ↓
F 上野恩賜公園 不忍池 ↓
G 東京大学本郷キャンパス医学部2号館 ↓
H 靖国神社 ↓
I 北の丸公園